後ろからかかった声に気づかないふりをとおした ふりかえられるわけがなかったから 「蛮ちゃ〜ん、蛮ちゃんってば」 相棒の銀次の声で蛮はハッと現実に巻き戻った。 ここは裏新宿の一角にある喫茶店HONKY TONK。 明るいと言えない店内はいつものように客がおらず、蛮たちはいつものようにツケで食事をとっていた。 「どうしたの?なんか悩みごと?」 心配そうに銀次が蛮の顔を覗きこむ。その気遣いの視線から逃げるように蛮は反対側を向いた。 「べつに。なんでもねぇよ」 「ぜったい嘘。だって蛮ちゃん、さっきからぜんぜん食べてないじゃん」 珍しく蛮ちゃんから先にご飯にしたいって言ったのに冷めちゃうよと銀次は膨れた。 ちなみに蛮より後に運ばれてきたはずの銀次の皿はすでに空である。 「ねぇ蛮ちゃん話して。俺、相談にのるよ」 そういうと銀次は、ニコニコ笑顔で蛮が話すのを待っている。 自分の考えが一方的で間違っているだなんて未塵も思ってない。 もっとも、こういうときの銀次は恐ろしいほど勘が良かったりする。 だからといって、どうするかなんて考えるまでもない。 蛮だって伊達に一緒にGet Backersをやっているわけではないのだから。 「銀次、欲しいんならこれやるぜ」 ちょんちょんとほとんど減っていない自分の皿をつつく。 蛮からのずいぶん魅力的な一言に、銀次はキラキラと目を輝かせた。 どうやら話題をすりかえられたことにぜんぜん気づいていないようだ。 「ホント?!わ〜い」 まるで犬のようにからだいっぱいに喜んでいる。 尻尾があればちぎれんばかりにふっていたであろうということが容易に想像できて蛮は笑みをこぼした。 波児の「どうせツケだろーが」という呟きはきっぱりと無視して。 銀次が食べ始めてしばらくしないうちに、カランカランという音とともにドアの開く音がした。 「いらっしゃい」 「あ、士度〜」 士度は蛮を一瞥すると、蛮の隣を一つ空けて腰かけた。 蛮はというと、士度が入ってきたことも気づかないかのように、まっすぐ前を見続けて煙草を吸っている。 銀次は口の周りにいっぱいものをつけたまま、もちろん皿を持って蛮と士度の間の席に移動した。 「士度もご飯食べに来たの〜?」 「あぁ、まぁな。いつものもらえるか?」 士度が言う前に波児は立ち上がって用意をしていた。袖を捲りなおして豆を出しながら一応確認をする。 「コーヒーだけでいいのかい?」 「あぁ」 「あれ?蛮ちゃん、どこいくの?」 無言で立ち上がった蛮に気づいて銀次が声をかける。その表情はサングラスのせいで窺えない。 「煙草きれちまったから買ってくる。銀次、こぼさねぇように食えよ」 口もとに形だけの笑みを浮かべ、ポンポンと頭を叩くと蛮は店を出た。 背中に彼からの視線を感じながら。 また気づかないふりをとおして。 へたれたボタンを押すとカコンと軽い音がして煙草は落ちてきた。 店から少し離れた自販機の前。蛮は何度目かわからない溜め息をついた。 煙草は買ったが店に戻る気がしない。 だってまだアイツがいるだろうから。どうして顔を会わせたくないときに限って顔を会わせてしまうのか。 「サイアクだな」 思わず呟いて、このままその辺をブラブラしようと思っていたら後ろから声がかかった。 「美堂」 「!…なんだ、猿マワシか」 ふりかえり一瞬だけ驚いた後、いつものように、人をバカにするような笑みを浮かべた。 平静を装って、買ったばかりの煙草をポケットに押し込む。 「なにやってんだよ。銀次の相手してたんじゃねぇのか?まさか俺を追っかけてきたなんていうんじゃねぇだろーな?」 からかい口調の蛮を士度はなにも言わずに見ている。 いつものように言い返されると思っていたので拍子抜けした。 「?おい、猿。聞こえねぇのか?」 声を荒らげ、不機嫌気味に眉間に皺をよせた。士度はやはりなにも言わない。 「おい猿…」 「素直じゃねぇな。聞きてぇことが他にあるんじゃねぇのか?」 「てめぇに聞きてぇことなんかねぇよ。話すこともな!」 吐き捨てるように言って、蛮は背を向けた。相手にするどころか姿を見ただけでイライラする。 こんな奴、相手にしてられるか。 一人勝手に怒って歩き出した蛮の腕を掴み、士度は蛮が歩き出したほうとは反対に歩き出した。 止まる気配のない士度に抵抗らしい抵抗もしないまま、ズルズルと半ば引きずられるように路地裏に連れ込まれた。 「ってぇ…なんなんだよ、猿マワシ!」 「お前、あのときのこと誤解してんだろ」 「…なんの話だよ?」 「とぼけてんじゃねぇよ。見てたんだろ?俺が呼んだのだって聞こえてたくせに無視りやがって」 「さぁ、なんのことか知らねぇな。関係ねぇよ」 まったく話を聞く様子のない蛮にしびれをきかせて、士度は蛮の両腕を壁に押さえ込んだ。 士度の意図をすばやく察した蛮は泣きそうな表情を浮かべて顔を背けた。 「美堂‥」 「どうどうと真っ昼間の大通りで女とキス。それだけじゃ飽き足らなくて俺にも、ってか?」 くくく‥とひとしきり嗤ったあと、蛮はまっすぐ士度を見上げた。 闇色のサングラスの奥に隠れる紫蒼の瞳は決して笑ってはいない。 「放せよ。テメェに触られただけで吐気がするぜ」 蛮は思いきり士度の手をふり払ったが、離れたのは右手だけだった。 「やっぱり見てたんじゃねぇか」 「うるせぇ。どけって言ってんだよ」 「聞けよ。あれはむこうが勝手にやってきたんだ。俺が望んだわけじゃねぇ」 「言っただろ。俺には関係ねぇ。テメェが誰とどこでなにをしようとな」 左手もふりきって士度を突き飛ばすと、ずれたサングラスを直して踵をかえした。 |