「よぉ!啓介」
「はぁ?」
ドアを開けた途端、にこやかに片手を上げた女に間抜けな声を漏らした。
彼女の名は。俺の幼馴染みであり、姉貴のような存在であり、今は恋人である。
この地位にくるまでは俺の並々ならぬ努力と様々な紆余曲折を経ているのだが、それはこの際置いておいて、とりあえず話を戻そう。
俺は彼女が彼氏の家に遊びに来ることは別に変ではないと思う。
むしろ実に微笑ましいというか、喜ぶべき事だと思う。
問題はそんなことじゃない。
今日来るって言ってたか?
ここ暫くの間にやりとりしたメールやTELの内容をかるく思い返してみる。
なんか事前に断りがあったか?約束してたか?
…いやいや、聞いてない。思い当たらない。なにも。
どうやらお得意の押し掛け訪問らしい。
「なに寝惚けたような声出してるのよ」
さすが付き合いが長いだけのことはあって、誰もいないのがわかるらしい。
突っ立ったままの俺をかわし、は小さくお邪魔しますと言ってさっさと靴を脱ぐと、家の中へ。我に返った俺は慌てての背中を追った。
「おい。、お前な‥」
「あ、そうだ。はい、コレお土産。ケーキだよ」
「おう、サンキュ。…って、そうじゃなくて!」
普通に流されて受け取ってしまったケーキを適当に冷蔵庫に突っ込むと、また背中を追って階段を駆け上がった。
階段から見えるドアは4つ。その中で開いているのはドアは1つ。
当然ながら俺の部屋のドアだ。
「相変わらずいつ来ても汚い部屋ね〜」
「なんで勝手に部屋に入ってんだよ」
失礼なことを言いつつ、キョロキョロと人の部屋を見回すに後ろから声をかけた。
口元に笑みをのせて、が体半分だけふりかえる。
「あら、彼女が彼氏の部屋に入るのに理由が必要なの?」
「人の部屋に入るなら理由じゃなくて、まず許可がいるだろ‥」
悪気を感じてるようには思えない。だから思わず頭を押さえた。
全く呆れる問いだが、長い付き合いからイヤというほどわかっている。
はこういう女だと。
下からみつめる視線に気がついて、手を退けた。
「なんだよ?」
「入っちゃダメなの?」
潤んだ瞳で見上げられて、鼓動が跳ね上がる。ボッと顔に熱がともって、それでも視線は反らせない。
いくらもしない沈黙の後、が吹き出した。
「ぷっ、あはは!啓介の顔、真っ赤〜おもしろ〜い」
「!お前な!」
「ねぇ啓介、私、喉渇いちゃった。なにか持ってきてくれない?」
頼み事をするときにだけ見せる天使の笑顔。これがメチャクチャタチが悪ぃんだ。
そんなこと、長年の経験からちゃんとわかってんのに。
「…紅茶しかねぇぞ?」
「うん、いいよ。いつものカップでお願いね」
笑顔にもう一押しされて部屋を出た。長くため息をこぼしつつ、ゆっくり階段を下りる。
のやつ、明らかに人で遊んで楽しんでやがるな。
悔しい。
な〜んか、俺ばっかり惚れてるみてぇ。ま、実際そうなんだけどさ。
「なにやってんだよ?」
紅茶を片手に部屋に戻ってみると、は机の上にある写真立てを覗いていた。
高校を卒業したとき、ダチみんなで撮ったやつだ。
「いや〜机の上とかがあんまり散らかってるからさ〜心優しいサマがちょっと片付けてやろうかな〜と」
へぇ、驚いた。にも案外気が利くところもあるのか。
「という風に見せかけて、なんかやましい物はないかと物色中」
「‥おい!」
「ふふふ、冗談だって。ちょーだい」
ベッドに腰掛け、足をぶらつかせながら俺に両手を差し出す様はまるで小学生。
明らかに24の大人がやる仕草じゃねぇよな。
「ほら」
「ありがと。言わなくてもちゃんとこのカップで持ってきてくれたんだね」
クスクスと笑うに俺もつられて笑った。
出してやったのはウチにあるのマイカップ。
小さい頃クリスマスプレゼントに俺と兄貴がにあげたやつだ。
「これじゃなきゃムクれて飲まないくせに」
「へへへ〜まぁね。だって、これで飲むと味が違うんだもの」
だからこれじゃなきゃダメなのとは言った。
デスクの椅子に腰かけて、紅茶を口へと運びながら考える。
いったい、なにがどう違うんだか。
俺が手に持ってるのと変わらない、ただのカップなのに。
まぁ、俺(と兄貴)が贈った物だから、他と特別視してくれるのは嬉しいんだけどさ。
お互いに紅茶を口もとへと運んで、間に小さな沈黙が生まれた。
カチカチと時間を刻む音が響く中、ただ腰かけてゆっくりと一つの動作を繰り返してる。
ほんの少しうつ向いて、静かに紅茶を飲んでいる。
見慣れた生地の上にある別段なんでもない姿なのに、妙に気になる。
そして、急にカップに隠れたピンクが見たくなった。
あ〜なんか触りてぇかも。
べつに欲情したとかってわけじゃなく、ちょっとしたイタズラ心ってヤツ?
暇だし、せっかく二人きりなんだからキスでも仕掛けてみるか。
思い立ったら即実行。
立ち上がって邪魔なカップを退けた。
「ちょっと!飲んでるんだから邪魔しないでよ」
取り上げようとしたカップを握りしめて、が軽く睨み上げてくる。
思わず小さくチッと舌打ち。
少しも赤くなりやがらねぇな、この女。
まぁ。見た目や仕草がいくらガキっぽくても実際は俺より年が上。
言い方を悪くすればそういうことにも慣れてるってことだ。
「…」
…自分で考えておいて、勝手にムカつくのはどうかと思うが、イライラが生まれちまったんだから仕方ない。
なんで嫌がるんだよ。なんで睨むんだよ。
俺らは付き合ってんだぜ?今二人きりなんだぜ?
キスの一つや二つ、したっていいじゃねぇか。好き合ってんだから当たり前だろ。
そこまで考えてハタと気づく。
…好き?
好きなんて言葉、の口から聞いたことあったっけ?
瞬間、ゾクッと急に背筋に言い様のない寒さが走った。
足がガタガタと震えてしまいそうな、常夏の島からいきなり雪山に放り出されたような、そんな寒さ。心細さ。
俺もお前も、言葉を欲しがらない人間だけど。
「なぁ、…」
「ただいま」
まるでそのタイミングを狙ったかのように、階下から聞こえてきたのは兄貴の声。
途端にの顔が輝いたように見えたのは俺の気のせいか?
「あ、涼介が帰ってきた」
「みたいだな」
「お出迎えしよう。おかえりなさ〜い」
パタパタと飲みかけの紅茶を放り出して駆けていく。
その背中を見つめて呟いた言葉は、恐らくには届いていない。
宙を舞う手。止まったまま声にならない声で呟く。
イカナイデ‥
彼氏が目の前にいるのにかなりヒドイな、このヒロイン(笑)
2004/09/23
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