「好きだぜ」
すぐそこで、彼の声が聞こえた気がした。
「どうしたんだ?」
手を止めて、突然振り返った私に、彼は驚いていた。
「いま、なにか言った?」
「?いや、なにもいってねえけど」
・・・気のせい?
「ごめんなさい、なんでもないわ・・・え?」
ふと見れば窓の外はすっかり暗くなっていて、びっくりした。
今日は彼と共に過ごす約束をしていた。
ちょっとやってしまいたい仕事があると言って、彼からOKをもらったのは午前中の話。
仕事に夢中になりすぎて、時間が過ぎるのを忘れていた。
今は・・・18時?!
「ごめんなさい・・・っ」
あわてて、椅子から立ち上がろうとしたが、ずっと動かなかったから固まっていた筋肉が悲鳴を上げた。
「おい、大丈夫か?」
「平気」
ちょっとふらついてしまったけれど、背中の筋肉と膝を伸ばして、彼に謝った。
「ごめんなさい、今日約束していたのに」
「別に気にしなくていいって。俺も楽しかったし」
楽しかった?
「なにしてたの?」
聞いてみたけれど、彼はニヤリと楽しそうな顔をしただけ。
鉛筆をテーブルを置いて、持っていた紙数枚を私に手渡した。
「手、洗ってくる」
部屋から出て行く彼の言葉に返事もできず、私は見入っていた。
いま彼から渡されたもの。
それは、私の絵だった。
まっすぐ前を見つめる私。
少し笑ってる私。
ちょっとしかめっ面をしている私。
待っている間に描いてくれたんだろう。
彼に描かれたたくさんの私がそこにいた。
「新一」
背を向けて手を拭いている、その背中にたまらず抱きついた。
腕の中に彼がいることを本当に幸せだなと思う。
こんなふうに、普通を感じることが出来ること。
あなたに大切に思われてるってわかること。
「どうしたんだ?」
「ありがとう」
彼が書いてくれた私の絵からは彼の思いが伝わってきて。
うれしかった。
なにかしてあげたいと思った。
「なにかしてほしいことない?」
「俺はずっと志保を見ていただけだからなー志保は?疲れただろ?何かしてほしいことないのか?」
ずっと待たされていたのに怒ってる様子なんて微塵もなくて、彼は逆に私に尋ねてきた。
もう、そんなに私を甘やかさないでほしい。
「私がしてあげたいって言ってるのよ」
「んーそうだなぁ。・・・じゃあ、おねだりしてくれよ」
「おねだり?」
「そう」
唇の上を這う彼の指先は冷たくて、彼がなにを言ってほしいのかわかった。
あぁ、もう。甘やかさないでって思うのに。
「キス、してほしい」
彼からの甘い誘惑に勝てなくて、おねだりをしてしまう。
ちょっと冷たく冷えた掌が、頬に添えられて促されるまま目を閉じた。
柔らかくて温かい唇の感触。
チュと小さなリップ音が響く。
「どうだ?」
そういうと、新一は小首を傾げながら私を見て微笑んだ。
その微笑みにトクンと心臓が跳ねて、まるで花のように世界が開いていく。
私が好きなんだと伝えてくれるその表情。
幸せで。
幸せで。泣きたくなる。
「お、おいっ!なんで泣きそうになるんだよっ」
「新一・・・」
涙が止まらない。
たまらないわ。
幸せすぎて。
胸の内に広がるこの幸福を伝えたいのに、いい言葉は出てこない。
ありがとう。
私を想ってくれて。
ありがとう。
きみが好きです。
哀ちゃんだったんですが、志保ちゃんに変更。別ストーリーだったんですが、お題にある『ありがとう』に寄せてみました。
やっぱり甘やかしすぎになってしまう。
2019/10/14