それは、あまりにも当たり前すぎて… ドアを押し開けると、聞き慣れた鈴の音が耳に届いた。 微笑みを浮かべて迎えてくれたマスターに、いつものをと言って椅子に腰かける。 「あ、士度〜今日も来たんだ」 「よぉ、銀次。お前も来てたのか」 笑顔で駆け寄ってきた仲間に、俺も微笑んで答える。話している銀次の背中の向こうに、チラッと白が見えた。 誰なのか、わざわざ見て確認する必要はない。 銀次が居るということは、=彼もいるということなのだから。 「ケッ。暇なヤツ」 声がしたほうへ銀次がふりかえり、彼の姿が見えた。 俺に向けての言葉だったはずなのに、わざとらしく俺のほうは見ていない。 俺は余裕を表すため、さっき銀次に向けたのとは違う種類の笑みを浮かべた。 「そのセリフ、そのまま返してやるぜ。どうせ今日も依頼がねぇんだろ?」 「あぁ?んだと、テメー!」 「ば、蛮ちゃん、落ち着いて」 眉間に皺を寄せて立ち上がった彼を抑えるように、パッと銀次が抱きついた。 「コラ!銀次、なんで止めんだ!」 「だって依頼がないのは本当のことだし…って、いっった〜い!なんで殴るのさ〜?」 「余計なこと言うんじゃねぇ!」 「ひっど〜い。だいたい蛮ちゃんが…」 「んだと〜!」 二人の間で始まった漫才のようなお決まりの喧嘩に付き合っていられず、ため息一つ吐いた。 マスターを見ると、サングラスでよくわからないが呆れて‥いやいや、遠く見守っている。 「はいよ。お待たせ」 カチャリと白いカップが鳴いた。 熱い湯気が上がるコーヒーと共に、差し出された皿の存在に素直に顔を上げた。 「マスター、これは?」 「サービスだよ。アンタはどっかの二人組と違って、ちゃんと払ってくれるからな」 隣を一瞥して、マスターは笑った。 銀次はわかっていないみたいだったが、座っている彼にはマスターの言いたいことがちゃんと伝わったらしい。彼がケッと言ってそっぽを向いたのを見た。 反論しないところからすると、またツケを溜めているんだろう。 いつものことだから、今さら聞くまでもない。 「いいな〜士度ばっかり〜」 「銀次、一つ食うか?」 並んだサンドイッチを指差し、聞くまでもないことを尋ねてみる。途端に銀次の目が輝いた。 「えv いいの?」 「あぁ、俺はそんなに腹減ってねぇから」 「うわぁ〜ありがと〜士度」 いっただきま〜すと言ってサンドイッチにかぶりつく銀次。その嬉しそうな表情を見ていたら自然と笑みがこぼれた。 まるで小さな子どものよう。本当に、これが無限城の雷帝だったのか?と疑ってしまいそうな姿だ。 あの頃の銀次からは想像すら出来なかった姿。 美堂が銀次を連れ出したことは、決してマイナスじゃなかったんだと思い知らされる。 だから疑問に思うことはなく、もし思っても、それを口に出してはいけなかった。 たしかに、あの頃の銀次は強かった。 けど人間味が欠けていたと思う。 優しさ、怒り、悲しみ、仲間に対する思いやり。感情はあったけど、虚ろとでも言うのか。 銀次はいつも妙に覚めていて、微笑むことはあっても、今みたいに心からの笑顔を出してくれることは 一度もなかった。 「あ、いや‥なんでもねぇ」 キョトンとした表情をして銀次が見てることに気がついて、慌てて顔をそらした。 少し冷めてしまったコーヒーを口へと運ぶ。 「テメーがあんまりがっついてっから呆れたんだろ。だいたいそれは猿マワシのだろうが」 「だって美味しいんだも〜ん。それに、昨日だってろくに食べてないし」 「テメーは俺サマよりずっと食ってんだろ。あぁ、口の周りに付いてんじゃねぇか。テメーはサンドイッチもまともに食えねぇのか!」 呆れの混じった怒りを露にしながら美堂はハンカチを取り出した。 そして小さい子どもに対して母親がするように、銀次の口の周りをゴシゴシと拭いていく。 当たり前すぎるその光景に、妙にイライラした。 「ずいぶんと世話焼きだな、ヘビ野郎。しかも何気に食ってんじゃねぇよ」 「あぁ?なんだよ?」 銀次と美堂の間に立ち塞がってその手を掴み、怪訝な表情をした美堂を見下ろす。 その間もヤツの口は動いたままだった。 「俺は銀次にやったんだ。なんでテメーまで食ってんだよ!」 「べつにいいじゃねぇか、少しくらい」 ケチだなと言いながら開いたほうの手でもう一つ口へと運ぶ。 「銀次のモンは俺サマのモンだ。俺たちの間にテメーが口を挟むんじゃねぇよ」 掴んだ腕に力が篭る。美堂の言葉にどうしようもなくイライラする。 「士度?」 銀次に服を引っ張られてハッとした。 馬鹿馬鹿しい。こんなこと、どうでもいいことだろうが。なにやってんだ、俺は。 自分自身が馬鹿らしくなって、堪らず舌打ちを一つした。 カウンターの向こうに立つマスターに500円玉を一つ投げて、店を出た。 呼んだ銀次の声が聞こえたけど、ふりかえらなかった。 * * * まっすぐ屋敷へと戻ってきたが、部屋には行かず、屋敷の中で一番大きい木の下に転がった。 仰向けに見上げれば、覆い繁げる葉の間から空と太陽が見え隠れする。 柔らかい風が頬を撫でて、心地良い睡魔が忍び寄り始めた頃だった。 「………不法侵入だぞ」 音もなく其所に現れた犯罪者に、真っ先に忠告した。 声なく笑うその様は悪びれた様子もなく、しかし俺の言いたいことが理解できているようだった。 「べつに合意の上なら犯罪じゃねぇだろうが?」 「誰が入ってきていいと言った?」 「嬢ちゃんはいつでも来てくれって言ってたぜ?」 「それは玄関からで、塀の上からじゃねぇと思うけどな」 「堅いこと言うなよ」 「一般常識だ」 瞳を伏せて、ヤツの言葉をすべて一蹴する。 美堂はクックックッと小さく笑いをこぼした。 「猿ごときに諭されるようになっちゃ、俺サマもおしまいだな」 近づいてきた美堂が隣に座ったのが音と気配でわかった。どうやら出ていくつもりはないらしい。 「テメーは此処に何しに来た?」 「仲直りってやつ」 「仲直りもなにも、俺たちは喧嘩してねぇはずだが?」 「あぁ、そうだったな」 見ると、美堂は笑っていた。 相変わらず何を考えてんだか、わけのわかんねぇ男だ。 この様子じゃ、マドカに用事というわけでもなさそうだし。 相手にしてるのも馬鹿らしく感じてきたから寝に入ることにした。 瞳を閉じると、見えていたときには見えなかったものが色々と見えてくる。 風の動き。草の気配。空の匂い。 光の熱さ。微かな音。その重さも。 ……………重さ? 「………何してんだ?テメーは」 「何してるように見える?」 笑って俺にのしかかる男を、半眼で睨みつけた。 「重い。退けよ」 「怒ってんのか?」 俺の上から退きながら、美堂は少し首を傾げた。 べつに怒ってるわけじゃねぇ。 だいたい、何に対して怒るっていうんだ? だけど、それを言うのすら億劫に感じられて、俺は黙った。 きっと暇なんだろう。退いたなら言うことはもうない。こんなヤツは無視だ。 優しい木々の声を聞きながら、再び夢の世界へと歩き出したところ、額に唇が落ちた。 気のせいじゃない。 瞼を上げると今度は唇が重なって、堪らず突き飛ばした。イライラする。 「気安く触るんじゃねぇ!」 「つれねぇな。せっかく俺サマが来てやったっていうのによ〜わざわざ銀次を放り出して」 「銀次を?」 美堂は答えず、パンパンと音をたてて服についた埃を払っている。 俺のほうを見ないのが実にわざとらしく、ムカついた。 「あーあ、銀次のヤツ、今ごろ迷子になってっかもしれねぇな〜アイツは救いようのねぇ方向音痴だから」 自分の相棒のことなのに、まるで他人事のように呟く美堂は何故か楽しそうだ。 ずれたサングラスを直し、俺を見つめている。 ヘビ野郎なんかに構ってらんねぇ。はやく銀次を捜しに行かねぇと。 「……おい、行くなよ」 体を起こし、銀次を捜しに行こうとした俺を美堂は引き留めやがった。 押し戻された背中が樹にぶつかって、木の葉がパラパラと舞い落ちる。 「俺はテメーを優先してやってんだよ。そんくらいわかれ」 「誰が頼んだ?テメーが勝手に………」 続くはずの先の言葉が消える。 紫蒼の瞳に吸い込まれて、なにも言えなくなる。 互いの顔が近づいて、何が待っているかわかるのに動けない。 突き飛ばす気力すらなくなる。おかしくなる。 「機嫌直ったか?」 「なに言ってんだ?俺は始めから怒ってねぇ」 「あぁ、そうだったな」 吐息が触れるほどの位置で喋られると、少し擽ったい。 綺麗な紫が見れないのが惜しいと思いつつ、瞳を伏せる。 そして待っていたように、もう一度唇が重なり合う。 「明日も来いよ。待ってるから」 「誰が行くかよ」 俺の答えに楽しそうに笑いをこぼして、美堂は胸ポケットにひっかけられたグラサンを押し付けた。 「一日だけ預けてやるから返しに来い」 瞼に唇が落とされ、また瞳を閉じたらかかっていた重さが突然なくなった。 目を開けたときには美堂の姿はもうなかった。 おい、俺はまだ行くって言ってねぇぞ。 勝手に言いたいことだけ言って、来たときと同じように颯爽と帰っていく。 聞こえないとわかっていても言わずにはいられない。 「…ふざけんな、バーカ」 きっと俺は、明日もあの店へ足を運び、同じように気分悪く帰ってくるんだろう。 そして、同じように彼は此処を訪れ、風のように去っていく。 あの店に行くのも、気分悪く先に帰るのも、キスするのも、結局許してしまうのも、 全ては日常の一コマに他ならない。 む、無意識の嫉妬って難しいわ(汗) つーか、長すぎ!50のお題だからショートでいくつもりだったのに‥ 2004/06/18 |