信じられない気持ちで呟いた。
「さん・・・」
予想だにしなかった現実に頭を抱えてしまいたくなる。
ここは僕の部屋の隣にある仮眠室。
そもそも僕付きの文官たちだって滅多に入らない部屋だというのに、なぜ彼女が床に丸まって、しかも寝息をたてているのか。
おそらく・・・だが、書簡を届けに来たけど僕が席を外していたので、しばらく待ってみたけれど、戻って来ないのでそのうち僕を驚かせようと思いつき、寝台の陰に隠れていたが、そのまま寝てしまったというところだろう。
見てなくても見ていたように推察ができてしまうあたりが悲しい。
「うにゃー・・・」
「うにゃーって、あなたは猫ですか」
思わずつっこまずにはいられないような寝言を呟かれ、脱力した。
とても年上のようには感じられない。
しかたないですね。
「さん、起きてください」
肩をつかんで軽く揺すってみたけれど、起きてもらえなかったのでちょっと力を込めた。
「ふがっ・・・あれ?陸遜?」
「あれ?じゃありません。なにしてるんですか」
「あ、ごめん。つい寝ちゃって」
ついの一言で済ませないでください。
目もとをこすりながら、まだ眠そうなさん。警戒心がないその姿にチクリと胸に痛みが走った。
孫権様。甘寧殿。
常に僕を惹きつけて、常に誰かのものであるあなた。
僕がもし、好きですと告げたならあなたはきっと困るだろう。
困って悩んで。でも困るのも悩むのも答えが決まっているからだ。
そして、僕から離れていく。僕を諦めさせるために。
僕はそれが耐えられない。
「さん」
「ん?なに?あ、怒ってる?」
「あとで僕のところに来てる書簡を分けますから持って帰ってくださいね」
「えええぇ?!無理だよ」
「十分休みましたし、優秀なさんならば簡単でしょう」
「もう。ごめんってばー、陸遜。もう勝手に入ったりしないからさ、ね?」
「駄目です」
立ち上がろうとしたさんの手を引いて引き留めた。
「陸遜?」
「後でって言ったじゃないですか」
その手をさらに引いて、僕の腕のなかへ閉じこめた。
「どうしたの?」
「これも悪戯しようとした罰ですよ」
本当はずっとずっと前から触れたかった。
僕が仕官する前から、この人は触れるどころか恋い焦がれてはいけない存在だった。
さんは、殿のお妃になられる方だから。
「はじめまして、陸遜殿。アタシはです。よろしくね」
「よろしくお願いします、様」
仕官して幾日か経った日、僕は周瑜殿に呼びだされた。
その時、を好きになってはいけないと言われたのを覚えている。
なりませんよと僕は答えたと思う。
何より、主君の妃になることがわかっていて彼女に惹かれるわけがない、そう思っていたから。
あの頃の僕は、肩に力が入りすぎていて、呉のためにってそればかり考えていた。
その後、を好きになるなよと呂蒙殿に言われた。
もう遅いですと僕は答えた。
伝えることは出来ない。触れることは許されない。
でも、抑えることも諦めることも出来ない。
自分でもどうにもならない想いがあるのだと初めて知った。
「あ、おはよう、陸遜」
「おはようございます、さん。なにしてるんですか?」
「えへへ、ちょっと来て」
挨拶は交わせる。こんなに近くであなたの笑顔が見られる。
それなのに、届かない存在。
だから毎日苦しくて辛くて、でも毎日愛しくて幸せで。
「こんなの、罰にならないよ」
「・・・っ・・・」
やっぱり僕は未熟者だ。さんならこう言うことが予測できたはずなのに、自ら自分を追い込んでしまった。
僕のなかの悪魔が囁く。
このまま引き裂いてしまえばいいと。
引き裂いて愛を注いで、この腕の中へ閉じ込めてしまえばいいと。
「陸遜?」
彼女を?
彼女を?
・・・できないっ。
「これでもですか?」
「きゃははは、いやいやいや、陸遜っいやーごめんって」
容赦なく脇腹をくすぐったら、悶えてさんは床にしゃがみこんでしまった。
「もう、ここには入りませんか?」
「入らない。入りませんからー許してーって、いやぁー」
「では今回だけは許してあげましょう」
「あー・・・・もーくすぐりに弱いのにー」
「自業自得でしょう」
「わかってますぅ。でも罰じゃなくてさ、キツい時はいつでも手伝うからね?」
笑いすぎて痛くなってしまったらしい。
お腹の押さえたまま、さんは僕を見上げて言った。
「いつでも言って?あ、いや、でもアタシは陸遜ほど仕事出来ないから出来れば手加減してね」
ハの字眉毛で申し訳なさそうな顔をして、でもとてもかわいい。
かわいくて、苦しい。
気づいてほしい?
いや、まだ。まだ気づいてほしくない。
「ありがとうございます」
辛くても苦しくても。
たとえ僕の想いが届かなくても。
僕はずっと、あなたが好きです。
途中、作ってて切なくて無理やりでも伝えたほうが救いがあったかなと思ったけど、ヒロインのおかげでいい感じにまとまりました。この子、いい子だな。
2019/10/10
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